書評/感想 『星の王子さま』 『心』の在り方を他人に任せるな。
「心で感じろ」
そう言われ続けて僕は心を病んだ。
心で感じたり、共感したりすることは人間が生まれ持ったときから備わっている機能ではなく、後天的に獲得する能力だと考えている。
僕は仲のいい先輩に「お前は心がないな笑」と言われることがある。
何かものごとに熱中したり、集中したりすると寝食を忘れて性格が変わるほどのめり込んでしまうタチだ。
そのため、先輩の飲みの誘いを断ったり、ピリピリしてるときに会うとそんな印象を与えるらしい。
僕はこの「心や感情」という言葉を振りかざして行動を制限したり操ったり強制したりする人が大嫌いだ。
心の在り方は人の自由だし誰かに強制されるものでもない。
説教というのは聞き手が求めているときに成り立つものであって、する側が押し付けるものではない。
「師は求めたときに現れる」という言葉の所以もそこにあると思う。
感情は自然と発生するもので、どのように受け止めればいいのか他人に型どられるものではない。
このブログもいつも感情に任せて書き殴っているので、誰かに教わったり制限されているわけではない。
だからこそ自分の心から自然に生まれた言葉を綴ることが出来るし、誰かに批判されたり奪われたり壊されたりすることがないので安心して文を書ける。
そんな環境を1つでも持っていることが、人が人らしく在るための前提だと僕は思う。
著者のサン=テグジュペリは飛行士かつ作家だった。
砂漠に墜落した経験があり、その境遇を作中の主人公へ投影している。
作者が砂漠で生死を彷徨った経験は想像を絶するが、星の王子さまなる人物が現れていないことは確かだ。
だか、彼は極限に追い込まれた環境で出会ったはずだ。
何に出会ったのか。
それは自分の心だったんだろうと僕は考える。
薄れていく意識、下がっていく体温、震える体、少しずつ静かになる鼓動。
「なぜこうなったのか」という感情、やらなかったこと、チャレンジしなかったことに対する後悔が芽生えてくる。
作中では「目に見えない大切なもの」は主人公にとっての絵を描くこと。
砂漠を歩き回り無事生存した彼は、本著を書くことになる。
作者のサン=テグジュペリが見つけたものは後世に残る本を書くことだったのかもしれない。
「きみのバラをかけがえのないものにしたのは 、きみが 、バラのために費やした時間だったんだ」
作中より引用
気持ちや感情、心というのは後天的に獲得した能力だと僕は思う。
本を読んだり人と話したり映画を見たり旅行に行ったり景色を見たり恋をしたり。
そんなときにいい気持ちになったり悪い気持ちになったりする。
そんなプロセスを経て言葉にすることこそ、気持ちを表現することなんだと最近僕は知った。
誰にも邪魔されることのない本という星空に、心という飛行機を飛ばす。
思いを馳せるという言葉がある。
時には砂漠に墜落してしまうこともあるかもしれない。
でもその時、あなたは星の王子さまに出会うのだろう。